アスマの夏喘息発作で臨死体験をして詠む
満月の三十二歳の誕生日 サイレン響く暗闇坂下
点滴針刺してさけない人間袋苦楽はすべて内側にあり
ソラ豆のごとき膿盆かきいだきビルの赤い点滅生きる
なんという植物なるかこのからだ蔓のごとくチューブは生えぬ
医師の声高波となりまっすぐとあたりて床にしづかに落ちぬ
花束を持つには大きすぎる手と手のあいだの無は言表わせぬ
捨てられた朝刊夕刊そこにあり活字もまもなく死のうとしている
薬飲む一杯の水に今朝の光やどりてたのしむ病人の性
花の香にむせかえる我衰えし午後花禁止令を出されたり
光感ずるまなぶたの動揺を生きてることのあかしと触れる
点滴のいってきいってき速めればだたそこにある時もてき、てき
ベッド上安静とかれ窓辺にはひっそりとした空気を揺する風
数億の微生物の誕生に吐き気を覚ゆ明け方のテレヴィ
盛夏夜苦しみありて見た夢は我を荒れ野へいざなえし旅
窓越しに悲哀せる者あらわれてトランペットを吹くはマイルス
我が旅のいまだ到達せざる道 広がる荒れ野へ向かっていくか
ひかり苔香りが混濁かきまわす白衣の母がかたわらに立つ
サファイアのピアスを耳に持つ猫のうしろ姿はデジタルな動き
飼い犬がみどり色で窓辺に来たる我を見つめて色だけ残る
ひとつ眼の猫が我に向かいきてそのまま皮膚を通過していく
なみだ壺横目で眺めそのなかのルルドの水に奇跡ありやと
水クラゲ沈んで浮かぶ冥界に藍より透明詩人のごとく
光衰え聖書の表紙重くなり罪とともに右手寄り添う
世を超えて人の哀しみわけわけしこれからももっと生きよ若者
死は来たる確実に来たるいつ来たるそれでも生きてるまだ生きている
死の手前たんぽぽ畑の楽見れば怖れは神に預けてもよし
荘厳な鐘の音ききし我が左耳 悪にも神のはたらきありと
暗い朝無限のときの先端にいさぎよくなめられし心地せり
回廊に光さしたる午後三時 まったり動かぬ院内気体
あかりつけレントゲン見る医師の目に我が肋骨は小さく曲がりぬ
看護婦の白き衣のそのからだ血潮はながれるどっとの奔流
脈拍をはかる小さきクリップのハートのしるしに悪態をつく
黙過する私服に着替えし医師の背によろこびありて不安を感ず
夏の空高所恐怖の雲ありて悟空もすいとのれる高さに
チョコレイトぱっきり折りてしみじみと舌のうえで溶かす喜び
毎日を新しくするすうすうと雨にぬれた緑を欲す
蜃気楼墓地下通りをゆらめかせたましいとおる阿修羅のごとく
水たまり路上の油をまいていき螺鈿のごとき彩あらわれぬ
晴れた日は笑いながらも泣いている『笛吹き少年』あっさりと立つ
友の絵の青が迎えし部屋に座す ミネラルウォーターに雲ひとつあり
ほおづきをひとつ落としてみんとする 暗闇坂に朱のためいき落つ
黒猫が眼下をよぎりし真昼間の白き太陽かげを落とさず
水ゆたかに放ちたりベランダの狭き空に哀しみがいっぱいで
原不安ひとりしづかに咳をして死ぬのはひとり時は知らずに
喜びは自分の居場所のありしこと 来たる夜さえ忘れておれば
ひとりねの寝入りばなの恐ろしさ明日の朝目覚めるか我
発作時の悪しき記憶をシロで消し赤子のように自分をいだく
寒くなる真夏の夜の午前二時マリアもソフィアも守ってくだされ
新月に爪を切っては思い出す「爪切り玉」をくれた妙子よ
今ここが天国なりとおもうとき生を愛するものになりけり